日本国内の地震の頻度が高く、世界でも地震
が発生し、大きな被害をもたらしています。
昨日は、平塚市にも津波の注意を呼びかける
放送が流れました。
・・・私は、阪神淡路大震災を未だによく覚えて
います・・・
当時、私は小学校6年生。
ある朝、突然叔母に起こされました。
叔母:『ボランティアに行こう!』
叔母:『行く!?』
私 : 『うん!』
すぐに支度をし、家族たちの許可を得て2人で家を出ました。
新横浜から新幹線に乗り、途中電車に乗り換えて震源地方面へ
進んで行くと、車窓から見える景色に徐々に異変が・・・
空き地のような場所が増え、次第にガレキの山と道だけに。
映像でしか見たことがないですが、戦後の焼け野原のような世界
が広がっていたのです。
こんなにも何もなくなってしまうのか・・・と物凄い衝撃を受けました。
下車した駅前には、一軒の小さな喫茶店がほとんど無傷で残って
いるだけ。その両隣の商店は倒壊してしまっているのに・・・。
住宅街だったと思われるところは、ビルや民家が所どころに残って
いるだけで、ほとんどの建物が倒壊してしまっていました。
(倒壊せずに済んだ数少ない民家は、どれも何も起こらなかったか
のように外観はほぼ無傷の状態。)
地域の方たちが非難していそうな小中学校などは、すぐに見つける
ことができました。
『ボランティア活動させてください。何か困っていたり手伝えること
はありませんか!?もしくは何か足りないものなど援助するもの
などはありませんか!?』
行くところ行くところ全てで受け入れや援助を断られました・・・。
次週の後半へ続く・・・
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