私は海堂尊氏の本が好きである。
作家であり現役の医師である海堂氏の書く小説には、現在の医療について
考えさせられるものが多い。
海堂氏の本、すべてを読破した訳ではないが、
読んだ中で一番のお気に入りは
『ジェネラル・ルージュの凱旋』。
映画、ドラマにもなっているが、原作とはだいぶ話が違っている。
原作は定期的に読み返したくなるほど面白い。
物語の中の話だが、登場するある看護師長の言葉に、看護師が師長になるために
経験しなければならない四つの節目、“生・老・病・死”、それぞれの看護を経験することだとある。
「“生”の看護は、命を生みだし育む看護よ。産婦人科と小児科ね。
“老”の看護にはお年寄りや障害者介護が含まれている。
“病”は言うまでもなく、通常の看護ね。同じように、死に際しても看護は必要なの。
死者にまで看護の領域が拡張されなければ、真の医療に到達できないの。
それが“死後看護”」
「死後看護は、死をタブー視してきた医療現場でおざなりに扱われてきた。
でも考えてみて。 死んだ後まで看護してもらえると思って初めて、
人はよりより生を送ることができるのではないかしら」
(※『ジェネラル・ルージュの凱旋』より抜粋)
いつもこの場面で「なるほど」と考えさせられる。
物語の中のセリフとはいえ、とても重みがあるように思える。
それと同時に学生時代の授業を思い出す。
高校時代、病院関係で働きたいと思っていた私は卒業後、ある専門学校の医療秘書課に入学した。
内科や外科の基礎、解剖生理学や病理学、看護学の基礎の授業もあった。
看護学の授業は、忘れてしまったがどこかの病院の婦長さん(当時は看護師ではなく看護婦だった)が講師を務めていた。
その婦長さんが授業で、
「看護の“看”という字は【手と目】で出来ている。手と目で見ることが看護の基本」
と話してくれたことが忘れられない。
これは介護にも同じことが言えると思います。
【手と目】で見て介護する。
私もいつかは誰かを介護することになるでしょう。
その時は【手と目】で見ることを忘れずに介護が出来るようになりたい。
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